それは、昭和3年、広野ゴルフ場建設に際し、グリーンカップ切断用具の製造依頼を受け、松岡文治が兵庫県工業試験場三木分場を訪れていました。しかし、彼はカップ切断用具よりも“アイアンヘッド”に興味を持ち、さっそく川辺村(現市川町西川辺)の知人の鍛冶屋森田清太郎にアイアンヘッド製作の話を持ちかけました。日本で初の試みだけに手本がなく、試行錯誤の末、昭和5年にようやく完成。東京の老舗であるアリガゴルフ、美津濃(現ミズノ)などの注文を受け、本格的に製造が始まりました。これが日本で初めてアイアンヘッドが造られた時の話です。
以来、市川町ではゴルフクラブ製造が盛んで、現在約20社ものゴルフ関連業者があります。製品は国内に留まらず、海外にも輸出され高い評価を受けています。